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2016/09/19

ひとこと_12

沢山の有志の協力のもと改修作業を続けたこの長屋ですが、
大阪府主催の第一回リフォーム・リノベーションコンクールにて優秀賞を受賞しました。
http://osaka-sumai-refo.com/index.php?%EF%BE%98%EF%BE%8C%EF%BD%AB%EF%BD%B0%EF%BE%91%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BE%8B3#rf0018c4

2014/09/22

ひとこと_11

2014年9月、私たちはこの長屋から立ち去ることを決意しました。
家族が一人増えることになり、早急に別の家へ引っ越さねばなりません。

約6年間、私達はこの長屋で暮らしました。
長きにわたる、私達+有志たちの手による改修工事もこれにて一旦終了です。
お手伝い頂いた皆様、本当にありがとうございました。
次の住み手が現れる限り、この「家」は必ず生き続けることでしょう。

「家」とは、幾重にも転生可能な事物だと信じてやみません。

2011/06/06

ひとこと_10


長屋の床を塗装しながらある建物の床を思い出しました。岡山県にある閑谷学校の床です(一緒にすんな!と怒られそうですが)。閑谷学校の床はまるで油の海、奈落の底まで続くような深い深い海の表面を見ているかのような錯覚を覚えます。うちの長屋とは違いこちらは漆塗りのようです。

私達は今年の春に訪れたのですが、あの水面のような黒い床が本当に忘れられません。
もう一度確かめに、触りに訪れたい。

2011/01/04

ひとこと_9

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく御願いします。
現在、多忙で長屋の改修はしていませんが他所の改修設計をしています。
年明けからあれやこれやと動いております。

それにしても少しぐらいは長屋改修やれ、自分。

2010/08/18

ひとこと_8

暑さと忙しさにかまけて怠けている。
改修やれ、自分。

2010/02/18

ひとこと_7

書くことがありません。つらい。

残念な事に当方は、ここのところしごとで忙殺されており、長屋しごとに全く着手できていません。
でも、もうしばらくしたらやります。今年の春〜年末まで、毎週末長屋しごとに打ち込む予定です。

上の写真は長屋で催されている宴会の模様です。友人を招いてこの日は焼肉をしたのでした。
来客であるWEBデザイナーと、ホームページの打ち合わせもしました。
長屋とは別に改修しごとを進めていますが、こちらはまた、ホームページが出来次第紹介したいと思います。

2009/12/18

ひとこと_6

多忙で長屋改修に着手できず。
ブログを書かないでいたら「お前どうしてるの?」という連絡を貰いました。
二人とも元気に長屋で暮らしています。
建具の隙間風や薄いガラス入り木製建具のおかげでしょうか、
長屋一階の温度は外気温とほぼ同じようです。ようは一階は屋外なんです。
ここ最近は家で図面を書いたり模型を作ったりしていますが、屋外作業の様で最高です。
冬が好きなので。仕事中にちらっと雪でも降らないかしら。

もう少ししたら長屋の改修再開します。自分に叱咤するつもりで残工事書きます。

・1階+2階の木製建具外部に桟を打つ事
 (柿渋塗る。カンナで微調整すること。買ってある真鍮の釘は折れやすいためインパクトで仮穴空けて打つべし)
・1階の出入り口折れ戸周りの補修
 (調査の結果、おそらくミニゴキブリはここからやってくるらしい。夏までにはやるべき)
・地下階の産業廃棄物をどうにかして捨てる
 (以前2度、見積りに来てもらった業者に電話するつもりが1年以上放っている。彼は親切なので申し訳ない)
・地下階の天井にスタイロを嵌め込んで、ラワンベニヤで塞ぐ
 (釘がもうないからコーナンに買い出しに行く必要あり)
・1階土間のコンクリート割れをどうにかする
 (どうにかしたいがどうするかは未定)
・2階に書斎スペースを設ける
 (SEのおっさんに電子ピアノを返す事からすべては始まる。
 できれば棚板も設けたい。支持をどうすべきか考え中)
・台所の棚板を増設する(最上段に置き式のものを一枚追加するとよい)
・地下階の床面と壁面をどうにかする(どうするかは二年前から常に考え中)
・門灯を買う
・外部の道に面するところに植栽スペースを作る。小鉢を幾つか並べる。
 (施工アイデア常に求む)
・毎月一回開催予定の勉強会に向けて、プロジェクター購入とその配置

以上。誰かやりたい人居たら教えて下さい。

2009/11/17

ひとこと_5

慌ただしい毎日。長い旅から戻り、自身の結婚式を終え、友を一人亡くす。
亡くなった友は仙台の建築家であり、先日彼の遺作を見てきました。
古い茅葺き民家の大改修、素晴らしいしごとでした。
そろそろ、私たちも長屋改修に再び着手しなければならない。必ず着手しなければ。

上の写真は東京の盟友であるudonoと、大阪の友、SEのおっさん撮影です。
2009年11月8日、大阪に数十名集まった友人達との、長屋でのパーティ風景です。

2009/10/12

ひとこと_4

欧州の旅を終え昨日帰国しました。
ドイツ、オーストリア、リヒテンシュタイン、スイス、フランスを巡りました。

2008/10/07

ひとこと_3

♪柱のき〜ず〜は おととーしーの〜
童謡「せいくらべ」には実に面白い歌詞が見られます。
1年前「さくねん」ではなく、2年前「おととし」を指しているところ、
または建築物=柱に傷を刻みつける事で身体成長を計り知ろうとしているところ等が実に面白い。

築80余年の長屋を日々改修すれば、この童謡に出てくる「柱の傷」どころか梁の傷、
壁の落書き、床のシミ、実に様々な過去の事象に出会います。
改修という行為においてそれらを消去する事は容易にできるし、保存する事もまた然りですが、
では、一体全体、その何を残して何を消去すればいいのでしょうか。
全てを白く塗りつぶしたり、黒くしたり、新旧の差異自体を消してしまえばいいのでしょうか。
それとも現代の材料を持ち込んで、既存部分との差異を強調すればいいのでしょうか。
これが実に難題なのです。

この長屋には本当に沢山の「柱の傷」がありますが、
それは今や誰の者とは分からない有象無象の記憶の集積です。
誰のものかも分からないのですから、私としてはまずはこれらを観察し、
整理調整、仕分けすることから始めるしか手が無い。

ところで、人が懐かしい記憶をふと思い出す時、
人はその思い出そのものとの奇跡の再会に驚くのではなく、
その懐かしい思い出を日々思い出さず、
のんのんと暮らしてきた『この今』『この現実』に驚くのでしょう。
「懐かしさ」や「思い出」とは、視覚的なものではありません。
見えないもの=時間を含むのです。
ですから長屋の無数の「柱の傷」は、全てそのままに保存すればいいと言うわけではなく、
あえて強調、又は消滅させなければならない。
なぜなら私が今、その見えないもの=時間に気付き、
見えるもの=異物を挿入しようとしているのだから。

延々と流れる時間に襞のように組み込まれる異物撤去・挿入作業、それが望まれる改修。
天井のベニヤを貼りながら、最近はそんな事ばかりを考えています。
いまだに改修意図はまとまりません。とにかく「場当たり的な判断」の積み重ねの日々です。

2008/07/08

ひとこと_2

思えば僕は長い間、建築設計についてばかり考え続けてきました。
絵を見たり、映画を観に行ったりするときも、
昼夜問わず、建築設計の事を考えています。

今回こうして、実際に自分の手を動かして作業する身になることで新たな視点を得ました。
それはずばり、今の時代の建築設計者における怠慢さです。

何かを作るための「技術」とは、本来かなり厳格な物であるはずです。
ある厚さの材料を仕上げるにはこんな長さのビスが何本要るとか、
斜めにビスを打つには、通常よりも何倍か長いビスが要るとか、
大きい材料をカットするにはこれだけのスペースが最低限要る、とか、とか。
この点で技術者=職人は信じがたいほどに博識です。

例えば建築設計者がとあるプロジェクトを考える際、
四角い平面図のスケッチに突如斜めの線を書き入れる時があるとします。
その設計者は、プロの職人が斜めにビスを打ち込む様にその線を引く事ができるのでしょうか。
僕はできると信じています。
ルイス・カーンは生涯、そのようにスケッチしていたはずで、
四角形の空間に斜めの壁を挿入(設計)するという「技術」は、
実は改修現場での斜めビスの打ち方と何ら変わりはありません。

2008/06/03

ひとこと

今日で工務店作業は終わりです。本日の夕方、現場にて最後の打ち合わせを終えました。

大変お世話になりました。甘えっぱなしで随分沢山の無理も聞いて下さり、
なのに投げ出す事無く仕事を終えて下さり感無量です。
今回お世話になった工務店、名は(株)大和建設と言います。
この工務店がなければこの長屋は廃墟と化したに違いありません。
素晴らしいお仕事をされる工務店です。

さて、これより本年10月末までセルフビルドが続きます。
この仕事を無駄にしないためにも、毎週末、とことん現場に通い詰めるつもりです。
担当の現場監督にしっかりと叱咤頂いた事、自分の配慮の足りなかった部分、
計画の甘さ、忙しさを言い訳に作業を疎かにしていたこと、等、
それらを日々意識して、完成までやり抜きます。

建築は人のためにあるのではない。有史以前から建築はあるのかもしれない。
そう考えれば人のために建築が要るのではなく、建築のために人が要る。
僕がこの長屋を改修しようと思い立った根拠は、
上に書いた様などこかからやってきた緩い使命感です。
そもそもこの長屋は僕の物ではありません。僕はこの長屋を借家として借りるだけです。
しかし、もはやこの長屋は誰のものでもない、
セルフビルドを終えた時そうはっきりと言い切れるのではないかと少し期待しています。

「やらなければならない」
だからやるのです。
「やりたい」
などは二の次です。
「やらなければならないことをやりたい」
のです。

改修を続行します。